MOXYLOQ

作者もり(manna mori)のイラストや動画をまとめるために作ったブログです。

マイ・オリジナル・キャラクター紹介

 

遊び心のある人ならだれしも、自分だけのオリジナルキャラクターをもっているものです。小学生の時に作ったオリキャラをその後も大事にしている人、少なくは無いのでは?

 

今回は私manna moriのオリジナルキャラクターを紹介します。

まずはお見せしましょう。

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このキャラクターは私が小学校低学年の時に考案したキャラクターです。

名前は左から「モコモン」「スーパーマン」「鳴神」です。最後の犬っぽいキャラクターは元々怪獣でしたが、いい子になって主人公(真ん中の丸い子)と共に行動しています。

この3人組がメインキャストですが、脇役も紹介しましょう。

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真ん中のでっかいのが「ギラース」です。

その周りを飛んでいる丸いのが上の主人公の父と母。

この設定、どこかで聞いたような…

いえいえ、偶然でしょう!

 

お次は

f:id:moxy:20170124164728j:plain全く別のキャラクター。

この2人組は「コンニャくん」と「イトコンニャくん」。

これまた私が小学生の時分に作ったキャラクター。

なぜこんにゃくかというと、こんにゃくが好きだから(笑)。

 

まだ自分のキャラクターとして個人的な範疇を超えていないけど、今後もしかしたら世界的に活躍してくれるかも!?

皆さんも、この子たちを見かけたらどうぞよろしく(>v<)!

 

映画『シン・ゴジラ』 評論文

シン・ゴジラ』にみる「日本」

 

シン・ゴジラ』は、巨大生物による首都圏への襲撃と、それに対応する政府や自衛隊の活動を描いた特撮映画である。スピーディに展開されるドラマと無敵感あふれるゴジラの破壊シーンが心地よい。

監督、庵野秀明が自らデザインした広告において「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」と名打たれているとおり、ゴジラの東京襲撃を通して、現在の「日本」という国の実態を浮き彫りにしている。特撮、ドラマ両面において徹底したリアリティが追究されており、これまでのゴジラシリーズの新作というよりも、巨大生物が東京を襲撃した際の災害シミュレーションのような印象を受ける。

先述したとおり、本作のメイン・テーマは「日本」だと考えられる。それゆえ、作中のいたる所に様々な「日本らしさ」が表現されている。特に、緊急災害時における政府の対応を問題視していることは明らかである。

ゴジラ襲撃に対する政府の一連の行動の中には、目前的な利益に固執する高齢官僚や、権威主義的態度を貫く学識者の姿が描かれており、災害現場への即座の対応に遅れをきたす存在として批判されている。他にも、報道の際の事実隠蔽など、先の東日本大震災時の政府対応に取材していると思われる要素が多く見られる。

だが、本作は単純に政府を否定しているのではない。詰まるところ、政府は様々な思惑を持った人間の集合体なのであり、そこには多種多様な人物がいる。中には高い志を持った人間もいることだろうし、現場への同情を忘れていない者もいるだろう。更に、有事には役人たちは休みも無く働かなくてはならないし、最終的決定権を持つ総理大臣は常に重大な決断を迫られる。政府にいる人間の、誰一人として頭から否定できないのではないか。そんなメッセージが込められているように感じる。

一方、本作は大衆の側にも光を当てている。政府の対応に憤った群衆が国会へ押しかけるシーンがあったが、彼らは役人たちの苦労を良く顧みていない。また、大災害が起こった翌日から何事も無かったかのように日常へと戻る社会があり、自分が被害を受けていなければ、被災地のことなど大して気に留めない民衆の姿がある。それはある意味の自然状態であり、良い、悪いと簡単に判断できるものではない。ただ、それが現実であるという客観的な視点の提示が読み取れる。

映画の中で強調されていた「日本らしさ」の一つに、科学技術と産業の力が挙げられる。たとえば、爆薬を積んでゴジラにダメージを与えたのは電車であり、最終的にゴジラを倒すのは科学技術を集結して作り出した凍結剤とそれを運ぶ特殊運送車であった。エンドロールにおいて映画製作に協力したメーカー名が並ぶところでは、まるでゴジラ登場シーンのような迫力ある音楽が重なっていた。この点から、企業を日本の大きな力と捉える監督の考えを見ることができる。

 

全編を通して、初代ゴジラを意識した場面、演出は数多く見られた。そのなかでも、そもそものゴジラのテーマである「核への批判」がしっかりと継承されていた点に着目したい。1954年に公開された初代ゴジラは、水爆実験の結果出現した巨大生物が東京を襲撃する物語であり、核兵器への批判を象徴しているとされる。今映画でもその設定はほとんどそのまま受け継がれており、むしろ原作よりも忠実なくらいである。海中に放棄された放射性廃棄物を食べた生物がゴジラへと進化する設定からは、核兵器のみならず、原子力発電を含めた核批判が窺える。

作中には様々な兵器が登場したが、ゴジラに対して無力であってもどれも凄まじい破壊力を持っていた。恐ろしいのは、ゴジラは虚構であるのに、この兵器は現実のものであるということだ。すなわち、この兵器はゴジラに向けてではなく、人間に向けて作られたものであるという悲しき現実がある。作中のセリフにもあったように、「本当に怖いのは人間」なのだ。

以上、映画の背景にあるメッセージを取り上げてみたが、映画をエンターテインメントとして観ても純分に楽しめる作品として仕上がっていたと思う。伊福部昭の音楽をそのまま使用している点には、監督の伊福部に対する敬意をひしと感じることができた。庵野テイストが惜しげもなく溢れだす演出には庵野ファンやエヴァファンを熱狂させたことだろう。エンターテインメント性を重視する庵野秀明らしい作品作りである。初代ゴジラを踏襲しながら円谷特撮とも違う「今」の特撮を観ることができたように思う。

 最後に、シン・ゴジラのデザインに関しての意見を述べて終わりにする。あのデザインに関してはいくつかの謎が残されているようである。ケロイド状にただれた皮膚、胸から突き出る突起、尻尾の先端にめり込んでいる人型のものなど、意味もなくデザインされているとは思えない。ここでは特に尻尾のデザインについて触れることにする。ラスト・シーンにおける凍結したゴジラのアップは、異様な形状をした尻尾のカットで締めくくられる。あの不気味な造形は一体何であろうか。多くの人が気付いているように、形状的に思い当たるのは『風の谷のナウシカ』に登場する巨神兵だ。では何故、ゴジラの尻尾に巨神兵が?その理由を探るには、巨神兵が象徴しているものを理解する必要がある。巨神兵は『風の谷のナウシカ』において科学技術の象徴として機能している。巨神兵は世界大戦において終末をもたらす火の兵器なのだ。それは原爆を象徴するゴジラとポジションを同じくしていると言えるだろう。その関連性からゴジラのデザインに巨神兵の意匠がリミックスされたと解釈できる。以前にも、庵野監督は特撮博物館巨神兵の登場するショート・ムービーを制作している。それのみならず庵野秀明宮崎駿との親交関係は有名な話である。それらの共通点からゴジラ巨神兵を結びつける動機があったと考えるのが妥当ではないか。

自己紹介

もり(manna mori)です。

このたび、ブログを開設しました。

その目的は、ひとつに、ネットの海にちらかっている私の作ったサイトを一か所にまとめることです。

イラスト投稿サイト、動画投稿サイトなどにリンクできるポータルを作りたいと思いました。

もう一つの目的は、どこかのサイトに投稿するまでもない小さい作品をコロコロと載せること。

映画を観た後の感想や、本の評論。あるいは思いつくまま作ったイラスト、音楽、映像。

おそらく日記的な使い方はしないであろう。そうだな、アルバムとか、物置とか、ファイル、のようなブログになるのだろう。

 

イラストサイト(deviant art):manna-mori - DeviantArt

動画サイト(youtube):M0RI7 - YouTube