MOXYLOQ

より小さく、より深く。ミクロコスモス的ブログ

完璧主義につける薬

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100%でなければ意味がない。

「全て」を所有したい。

不完全な「過去」などは隠蔽したい。

 

これらに共感する方はまず間違いなく「完璧主義者」だ。

完璧主義というのは、自分の人生に決して満足することができない呪いのようなもので、最大の敵が自分自身の中に居る。

完璧主義者は、理想が途方もなく高いために常に人生の「ハードモード」を生きている。だから、もちろん理想と現実の乖離による苦しみも大きい。

 

計画を立てるときも物事を始める時も、逐一「完璧」を要求するために進みが悪いばかりか、十分な出来が得られないと次第に計画自体に嫌気がさしてきて、途中で投げ出してしまうことも多いだろう。

 

そんな生きづらい性格の持ち主ーー私も重度のそれだがーーは、自分の中の魔物「完璧主義」とうまく折り合いをつけないと、理想に到達できずに不覚のうちに一生を終えることになりかねない。

 

なんとしてもそれは避けたいものだ。

そこで、私は次のことを肝に命じて生きることにしている。これこそが完璧主義との共存を可能とし、むしろ完璧主義の利点を活かす道につながるものと信じている。みなさんも参考にしていただければ幸いである。

 

 

1、否定からは何も生まれない。

完璧病のあなたは、ついつい自分のことや、至らない現状を否定してしまう癖があると思う。しかし、否定するだけでは何も生まれない。否定を繰り返していると、今度はどっちにも動けなくなってしまう。自分の首をしめることになる。

今、自分が持っている最大の魅力とは何か?

それを考えて、全面に打ち出してゆくことだ。幸い、僕らはより良い方向へ進むことを厭わない強い志を兼ね備えている。あとは、常にベストを尽くしていると言い張っても胸が痛まないだけの「実行」を怠らないことだ。

 

2、不完全なものしか生み出せない。

完全を求めるあまり、不完全を忌み嫌うのは当然のことだ。しかし、現状が完全に到達していないのならば、不完全を避けることはできない。そのままでは、自分の存在自体を許可できなくなるだろう。

自分は不完全であり、不完全なものしか生み出せない。

「諦念」という言葉がある。ただ単に「諦める」という意味ではない。現実を厳しく見つめ、ありのままの姿を受け入れる態度のことをいう。

その境地になってみるのである。それは残酷なことかもしれない。なぜなら、完全を求めるのに、生み出されるものは不完全。満たされぬ心。止まぬ苦しみ。そういうもの全てを宿命と受け入れろ、と言っているのだから。

 

3、青い鳥は死んだ。

「チルチルミチルの青い鳥」を知っているか。簡単に言えば、求めるものは遠くにあるのではなく、近くにあるのだということだ。言い換えれば、求めるものは「外」にあるのではなく「内」に秘められている。しかし、完璧主義者にとって、求めるものは「内」にすら存在しない。

青い鳥は死んだのだ。

完璧主義者の内側は、飼っている魔物によって喰らい尽くされ空洞になっている。そこにあるのは虚無だけだ。青い鳥、つまり己に充足と幸せをもたらすはずの基準も、とうの昔に喰らわれている。「理想に到達できない自分」の中に、どうして幸せの鍵があろうか。完璧主義を理解できない人は、そんなことを言っていないで、と簡単に考えるかもしれないが、当事者にとっては動かしがたい事実なのである。青い鳥はどこにもいない。それを忘れて、いつまでたっても終わりのない無益な旅をしないことだ。

 

4、結果を求めない。

完璧主義者の多くは、同時に承認欲求が強い。自覚がなくとも、かなり評価を気にしてしまう性格のはずだ。我が道をゆく、というタイプだとしても、他者からの評価ありきで動いているわけだ。そして、わかりやすい結果を求めて姑息な手段を使ったり、心にもないことを始めたりする。それはなによりもの無駄だ。いい結果など得られはしない。完璧主義者の強みは、求められている結果を出すためにあくせくするとこには無い。

没頭こそが最大の武器。結果などは後から付いてくる。

完璧主義者は、他のタイプが持ち得ない素晴らしい武器を生まれながらにして持っている。それは没頭という能力だ。物事に没頭し始めると、我々は全てを忘れて「今」に集中することができる。気がつくと時が経っていて、手元には緻密で美しい結果が現れている。

その状態に入ることさえできれば、誰にでもできないことだって容易にこなせてしまう。その時にだけ、自分の中にいる「完璧主義」という魔物を眠らせ、その力を思う存分発自分のものとして使うことができる、いわば無敵状態になれるわけだ。

 

 

私は、よく見かける楽観的でいささか乱暴な性格矯正家のごとく、完璧主義を辞めて自分を認めてあげようなどとは言わない。我々にそんなことは出来はしないし、出来たとしても、したくない。私自身が重度の完璧病患者だからよくわかる。

今回、言っていることはどれも救いのないことばかりである。つべこべいわずにやれ、理想と現実の乖離に苦しめ、幸せを求めるな、など、散々である。

1〜3に書いてあることは、無駄に苦しまないための心構えというか、諦めみたいなもので、とりわけ現状を改善しようという話ではない。素直に自分の性格を見つめて、無理に治そうなどと考えてはならない。

唯一、希望があるとすれば4に書いたことだ。没頭モードに突入できればこっちのもの。大変心強い。頭でっかちな僕らは、ついつい結果とか、意義とか、そういうことを先に頭の中で考え回してしまうが、それは束縛にしかなっていない。没頭状態に入れば、そういった邪念を一時的に忘れることができる。その時にこそ、我々の完璧主義の最大の強みが遺憾無く発揮できるというもの。

問題はいかに没頭するか、ということであるが、それは一概にこうすればよいという簡単な方法はない。考えやら、状況やら、いろいろと要因が絡んでくるからである。ただ、ひとつだけ私個人の経験からいうと、考えるよりも先に手を動かし始めてしまうのが良いようだ。動きから入って、考えを変えるという方法がある。あれこれ考える前に、人生を投げ捨てるようにして、とりあえず始めてみるのだ。そうすると、次第にハマって楽しくなることもあろう。そこから、私たちの時間が始まるのだ。

 

万国の完璧主義者よ、我を忘れよ!そのこと以外の中に完璧主義者を救う近道はない。